top > 長崎くんちの歴史

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文責 酔太郎

最終更新 2009.1.22

長崎くんちが始まったのは、寛永11年(1634年)のことでした。

 この年、榊原。神尾。両奉行より「諏訪祭礼」を行なう旨お触れが出され、喜んだ青木賢清(初代宮司)は、宝殿、拝殿を造営し、神輿を造り(祭礼までの日数が少なかったので諏訪・住吉の2社分のみ造ったと言われている)お旅所を大波止の地と定めました。

この時の次第は次のとおりでありました。

    9月1日 本社、お旅所にしめ縄を引く。

    9月6日 丑の刻(午前2時頃)神輿に遷座される。

    9月7日 朝から総町の中よりくじで選ばれた11町が
         奉納をする。 

         午の刻(正午頃)渡御があり、未の刻(午後
         2時頃)仮宮(お旅所)に着座される。

    9月8日 お旅所に御逗留。

    9月9日 10町が奉納をし、午の刻に還御されて本宮に
         遷座される。

この後、湯立て神楽や流鏑馬などの祭礼も残りなく済まされる。

この時に奉納した御供町

  7日 船津・本博多・樺島・平戸・新紙屋・麹屋・馬・東鍛冶屋・浜・銀屋・諏訪

  9日 榎津・古川・本紙屋・新大工・磨屋・毛皮屋・大村・本五島・今・金屋

慶安元年(1648年)8月玉園山の地(今の処)に遷宮。
       
(それまでは、今、松の森神社のある場所が諏訪神社でした。)

 《1634年から1654年までは7日に11町9日に10町で1年に21町づつ3年まわり》

明暦元年(1655年)この年より6年廻りとなりました。

      この年より、当年11町・翌年10町として6年廻りとなる。
                         (丸山、寄合を除くと63町)

寛文12年(1672年)町の数が77ヶ町に増えたので、11ヶ町
     づつ7年廻りとなり、近年までこの組み合わせが続いてい
     ました。

この年の組み合わせは、次のとおりです。(丸山・寄合町は毎年奉納)

  1船津町・本博多町・樺嶋町・平戸町・八幡町・麹屋町・北馬町・万屋
   町・西浜町・銀屋町・諏訪町

  2榎津町・西古川町・本紙屋町・新大工町・磨屋町・新橋町・出来鍛冶
   屋町・大村町・本五島町・今町・金屋町

  3油屋町・今石灰町・下筑後町・今籠町・今鍛冶屋町・西中町・東中町
   豊後町・本下町・外浦町・島原町

  4新興善町・今下町・西築町・東上町・南馬町・大黒町・新石灰町・東
   浜町・東古川町・中紺屋町・本古川町

  5東築町・桜町・小川町・内中町・西上町・八百屋町・勝山町・恵美酒
   町・今紺屋町・伊勢町・炉粕町

  6本大工町・今博多町・本紺屋町・今魚町・本籠町・材木町・古町・上
   筑後町・後興善町・江戸町・本興善町

  7浦五島町・引地町・掘町・新町・本石灰町・桶屋町・大井手町・船大
   工町・袋町・酒屋町・出来大工町

宝永2年(1705年) 諏訪・住吉・森崎の3社共に渡御

享保元年(1716年) 籠町が蛇踊りを初めて奉納する。

享保19年(1734年) 大波止の御旅所で湯立神事始まる。

安永7年(1778年) 万屋町が鯨曳きを初めて奉納する。

寛政11年(1799年) 樺島町がコッコデショを初めて奉納する。

天保11年(1840年) お上りの時、伊良林郷と高野平郷との間で
     大喧嘩があって、これまで2郷で1社担いでいたのを12年
     から1郷で1社担ぐようになる。

明治元年(1868年) 諏訪祭礼が質素なものに変更される。

 傘鉾は、直径4尺、飾りは町名を標すのみ。 奉納踊りは、丸山・寄合を
 除いて廃止。

 お供町11町より3人づつ33人が武者姿で神輿行列に参加。

明治8年(1875年) 太陽暦の採用で、10月7、8、9に変更さ
    れる。

明治11年(1878年) 神輿新調(現在も使われている)

明治19年(1886年) 諏訪町蛇踊りを初めて奉納。

明治38年(1905年) 日露戦争のため、傘鉾のみ奉納。

大正元年(1912年) 奉納踊り遠慮。(明治天皇崩御)

大正12年(1923年) 奉納踊り遠慮(関東大震災)

昭和12年(1937)〜昭和15年(1939) 神輿渡御のみ。

昭和20年(1945年) 終戦 丸山の奉納あり。
                    (油屋町が踊町の年)

昭和24年(1949年) 地方裁判所前にお旅所が置かれる。

昭和27年(1952年) 江戸町公園にお旅所が置かれる。
                   (油屋町=傘鉾・剣舞)

昭和33年(1958年) 丸山・寄合町が隔年制を返上する。

昭和34年(1959年) 丸山・東中町・油屋町=傘鉾・本踊り・鍛
     冶屋町・下筑後町・新豊後町

昭和35年(1960年) この頃より町界町名変更が行なわれ、くん
     ちが大変革期を迎える。

昭和41年(1966年) 鍛冶屋町・油屋町=傘鉾・本踊り・元船
     町・新橋町(特別参加)・本籠町(特別参加) 

昭和48年(1973年) 油屋町川船=初出場 

     上町・筑後町・油屋町(傘鉾・川船)・元船町・樺島町(特
     別参加)

昭和55年(1980年) 7日が雨のため8日からに!

     上町・油屋町(傘鉾・川船)・元船町・鍛冶屋町・筑後町

昭和57年(1982年) 7月23日長崎大水害。

昭和60年(1985年) 伊勢の宮での奉納がなくなる。

昭和61年(1986年) 八坂神社の奉納が中日になる。

昭和62年(1987年) 

     上町・油屋町(傘鉾・川船)・元船町・鍛冶屋町・筑後町

昭和63年(1988年) 中 止(昭和天皇崩御)

平成3年(1991年) 諏訪神社で「くんちの夕べ」始まる。

平成7年(1995年) 

     上町・油屋町(傘鉾・川船)・元船町・鍛冶屋町・筑後町

平成13年(2001年) 長坂に整理券方式導入。

平成14年(2002年)

     上町・油屋町(傘鉾・川船)・元船町・鍛冶屋町・筑後町

平成18年(2006年) 丸山町が41年ぶり踊町に復活。

 

以上が前回(平成14年)までのくんちの大まかな歴史です。

そして、平成21年、今まで5ヵ町だった清明会に「今籠町」を迎え
て6ヵ町での奉納になり、この年表に新たな歴史が加えられます。